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<<   作成日時 : 2011/08/01 23:13   >>

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代表的日本人 (岩波文庫)
岩波書店
内村 鑑三

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歴史上の人物を短編としてまとめた伝記だが、特筆すべきは1世紀以上前に海外向けに英文で書かれたもの(1908年内村鑑三著)を翻訳した、という点にあるだろう。

西郷隆盛
小学校レベルの歴史でも出てくるくらい言わずと知れた人物であり、特に彼の功績とされる明治維新を中心に描かれている。人と人の間に立って交渉をまとめるという正に政治家に求められるべき資質に恵まれ、かつその目的を今日の政治家に見られる票集め目的ではなく己の考える日本将来像に設定した点が、西郷を今日の名声を持つ所以とさせていることが伺える。
また、それと並行して目を引くのは、一般に「征韓論」として解釈されている晩年の朝鮮征服論である。日本が欧州列強に対抗しえるために考える策としては至極真っ当な主張ではあったが、当時の政府の理解を得られずに西南戦争に突入して彼は生涯を閉じることとなる。

上杉鷹山
自領米沢の藩主に就いた鷹山は国を復興させるための変革を求められていた。自らに極度の倹約を課して財政回復への決意を示し、「適材適所」の配置によって政策の効力を最大限発揮させた。一度プラスのサイクルに回してしまえば、あとは鷹山の高尚さをもってすれば改革はたやすいようにすら感じてしまう。国の復興のためにあらゆる手を尽くし、時に湧きおこる自分への不満に対しては素直に民意を問い、そしてまた改革を推し進める。
本書でも紹介されている通り東洋思想の一つの代表的特徴である「徳を追求して富を得る」という典型が正に鷹山であったと思われる。それは今日の米沢の特産物(絹)や、彼がこの世を去った日に悲しんだと伝えられた数万人の人々が、その動かぬ証拠でもあるようだ。

二宮尊徳
青年期に身を寄せた親戚からの理解が得られなくとも涙ぐましく学問に励んだ姿は今日でも語り草になっているが、ここでもそのエピソードを中心に人物像とその後の功績が述べられている。この姿勢を持ってして「今日の学生は・・」的な説教をするのは他に譲るとして、ここで私の興味を引くのは、尊徳のように「目明き見えず(字の読めない人間にはなりたくない)」と学問の重要さを認識してどんな過酷な環境下でも勉学に食らいつく者と、かたや足元のやりくりにいっぱいいっぱいで「カネにならない勉強なんかしてるヒマがあったらもっと働け!」と説教する彼の身寄り先の伯父のような者とを分ける外的要因は何か?ということである。
この構図は今日の学生とその親・教師の考えの差としてそのまま反映されているように感じる。私自身、中高時代はいい意味で親や社会のいいなりになってそこそこ勉強をやり、その一方で早く手持ちの自由に使えるお金が欲しくて空いた時間は殆どアルバイトに励んでいた。そして社会人になった今、当時曲りなりに勉強していたことによって今日の自分があることを強く実感すると同時に、貴重な時間を1時間当たりわずか数百円で売っていた刹那的な自分に後悔の念を抱くこともある。
私は、(能力は別として)人間の考えや習慣の殆どは本人の努力とは無縁に後天的に形作られていると考えているので、尊徳本人に対して何か特別な尊敬を抱いたりだとかいう気持ちは全く無い。おそらく尊徳よりも勉学の量では凌ぎながらも先天的才能その他運などの要素で日の目を見なかった、歴史上では数多いる「凡人」もたくさんいたことだろう。
もし私が今日の学生に(というか自戒も含めて)説教をするのならこんなセリフを吐くだろう。「尊徳のように勉学に励めば人生が豊かになる可能性が90%、目先の利益にとらわれて勉学を疎かにしていればその可能性は10%である。どちらの選択をするかは君たち次第だが、一つ幸運なことは、君たちにはその選択権があるということだ。」

中江藤樹
前項の尊徳と同じく(と表現するといささか乱暴にまとめすぎかもしれないが、)中江藤樹も勉学が重んじられていない時代・環境に育ちながらも学問の習得を重ね、その地位を築いた人物である。そして奇しくも、尊徳と藤樹共に孔子の書「大学」に感銘を受けている。
藤樹についての記述は、彼が学問の習得から得た高尚な思想と、1人の人間としての母親に対する愛情、そして妻への姿勢(大好きな母の教えに唯一逆らったのが自分の妻との結婚だったようだ。)の3つがうまくバランスが取れていた何だか親しみが持てる。利益だけを負わずに「三方よし」をモットーとした近江商人ならぬ「近江聖人」と呼ばれたのもまた頷ける。

日蓮上人
社会差別の時代に低い身分の家計に生まれた日蓮は、当時唯一の成り上がりの道と言っても過言ではない僧侶として人生を歩むこととなった。彼を後の日蓮上人たらしめるきっかけとなったのは、無数にある仏教の宗派が互いにいがみ合っているという事実であった。周囲がこの問題を遠ざけるように、日蓮は「答えは人の意見にあるのではなく仏陀の残した経文によってもたらされる」との想いを強くし、それはその後の彼を形作っていくものとなる。
当時の僧侶としてレールを外れ、真理を追究するための旅路の果てに叡山にたどり着いて法華経に身をささげる覚悟をつけた日蓮の影響力は拡大の一途をたどり、時の政権鎌倉幕府からの弾圧の憂き目にもあった。その中には「竜の口の法難」事件のようにあわや斬首寸前といったものもあったが、伝えられるところによればその強い信念と奇蹟によって最後には自由を与えられる身になり、生涯を「世との戦い」に費やした。
日蓮は各方面から批判も多く浴びた人物だったが、著者の内村鑑三を始め、彼のために名誉をかけてもよいという人々を多く生み出したのもまた揺るぎない事実である。
私自身も「宗教同士がなぜいがみ合うのか?」と書生のような疑問を幼少期に抱いていたので、この疑問が人生の出発点であるという日蓮に非常に共感する部分があった。

所感
歴史は後世が手持ちの材料で過去を判断した一種の物語に過ぎず、必ずしも当時を正しく反映しているかと言えばそれは必ずしもそうではないかもしれない。事実、例えば西郷の記述においては「開国の志士」として今日の日本で絶大な人気を誇る坂本竜馬はまったく登場してこない。この書が1世紀前に書かれたことを踏まえると、竜馬の名声はやはり司馬遼太郎氏の一連の書にあると考えることが合理的だろう。
一つ言えることは、どんな偏りがあるにせよ先人たちの軌跡が記録として残っているというのは、何らかの理由があるわけだし、それをヒモ解けば世の中に与えるインパクトをつかさどっている歴史上の普遍則のようなものが見えるかもしれない、ということだろうか。

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