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zoom RSS 僕が英語学習を続ける理由

<<   作成日時 : 2012/06/02 19:30   >>

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学生時代は授業や塾の課題があったから強制的にせざるを得なかったのだが、社会人になってからも僕は暇さえあれば自分の英語力を高める訓練をしている。会社の上司にお願いして経費で英会話スクールに通わせてもらったり、同期と英語の本を読み合わせたり、Economist誌を読む勉強会に参加したり、やめてしまったものもあればまだ続いているものもある。

正直な話、僕は英語の勉強が大嫌いだ。英語を使って人とコミュニケーションするのは好きだけれど、自分の今の英語力を上げるために負荷をかけようとすると極端に感じる苦痛度が増す。受験英語は超がつくほど嫌いだったし、今でも内容に興味が無い英文を義務感で読もうとするとたちどころに眠気が襲ってくる。

じゃあ何でそこまで嫌いなことをしているのか?別に、何か高尚な目標があるわけではない。あるのはただ、「社会のみんなが使っている言葉を自分が使えないとその社会では生きていけない」ことへの危機感だけ。そしてその“社会”で使われている言語がたまたま英語だったというだけの話だ。日本はこれからどんどん人口が減っていく。通信手段の発達と共に海外の人たちとコミュニケーションする機会はどんどん増えていく。自分がこの先どこで何をするのかは分からないけれど、日本語を話す人の数がどんどん減っていくのに日本語しか使えないことが何を意味するのかは、言わずもがなだろう。

「外資系勤務とか言うとかっこよさそうに聞こえるけど、要は単に英語が話せるだけだろ?」
「言語の壁さえ取っ払えば日本人は世界1,2を争う優秀さを持ってるはず」
等々、どれももっともな指摘だし僕もほぼ100%同意する。
でも、じゃあ実際に言語の壁を取っ払うことはできるのだろうか?英語抜きで日本国外の人々とコミュニケーションすることは可能だろうか?

僕自身外資系の会社に勤めていて社内言語が英語であるがゆえに、その英語が堪能でないことは何を意味するのかをいやというほど痛感してきた。どんなに一生懸命に仕事に取り組んでもそれを周囲に説明できなければno valueの世界である。景気が良くてパフォーマンスの数字が出ているときはクリティカルにならないけれど、そうでない場合はたちどころに致命傷になる。

「英語圏、あるいは、英語を後天的に学ぶのが比較的容易なラテン語圏に生まれた(あるいは育った)か否かで英語へのハードルが先天的に決まり、それがビジネスの世界で一生つきまとうなんて理不尽な世界だな」と思うかもしれない。僕も、今でも英語の勉強が嫌になったり自分の拙い英語で悔しい想いをするとたまにそう思う。
でも、全く同じ、いやそれ以上に強い理不尽さを僕達日本人に対して感じている人もいる。世界に蔓延る紛争・貧困。そこで苦しんでいる人が日本人の生活を見たらこう思うだろう。
「私がもし日本に生まれていたら学校に行けたのに。」
「僕がもし日本に生まれていたら、家族みんなで幸せに暮らせてたのに。」

僕達日本人が何故平和な暮らしをしていられると思う?何か僕たちは特別な努力をしたのだろうか?いいや、単に僕らが日本人に生まれてきたという「運」を持っていたからに過ぎない。その運の良さに比べたら、英語が先天的に苦手か得意かどうかなんてどうでもいいレベルだ。むしろ、多少の理不尽さ経験したほうが他人の苦痛も理解できる人間になれる、くらいに思えてくる。

そんなわけで、今はちょうど英語の勉強が嫌になって息抜きがてらこのネタを書いてるのですが、これからまた励みます(苦笑)

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