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zoom RSS 卑屈という最大の敵

<<   作成日時 : 2011/10/17 05:45   >>

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自分がこの難敵にやられている真っ最中は全く気付かないのだけど、人の振り見て何とやらでは無いが周りの誰かが卑屈になっていると驚くほどすぐに分かる。

この敵は本当に厄介だ。なぜなら自分の苦しい現状を肯定してくれる、一見すると正義の味方だからだ。事実、世の中には先天的に、あるいは後天的であるにせよ変えられようも無い過去がこれでもかというくらいに未来の自分の前にハードルとして立ちはだかることが往々にしてある。こんな時、人は卑屈になる。「どうせおれは○○だから」と。でもこれは歴然とした事実であるので、何もそういった卑屈に対して「卑屈になるな!」と頭ごなしに言うつもりは毛頭ない。

自分はどうしたい?
こんな時に自分に問いかけてみるといい。「ところで俺はそもそも何がしたかったんだっけ?」
自分の努力ではどうしようもない壁が目の前に立ちはだかる。「どうせ自分には・・」こう考えることはごく自然だ。そこで自分の本来の目的を振り返ってみる。自分の目的は、本当に、自分の今目の前に立ちはだかっている壁を乗り越えることでしか辿り着けないのか?

卑屈という敵が優勢の時は、他の道が見えていないのかもしれない。幼いころからずっと目指してきたエアラインパイロットへの道が閉ざされた時の私の気持ちは、正にそんな状態だった。金銭欲求が強く、でも自分で経営者になるような一生プライベートも無く仕事してそうなイメージの職は甚だごめんで、サラリーマンとしてルーチンワークを繰り返すだけなんだけど、でもお給料は良くって、ちょうど自分は乗り物好きだし、おまけに安全運航の名の下お役所が強制的に労働時間を抑制してくれる、極めつけに旅行好きの母が「あなたが航空会社に勤めたらお母さんは格安で海外に行けるわ!」と目をキラキラ輝かせ、これはパイロット以外に俺の人生あり得るのかくらいの勢いで世界に名だたる悪名高き勉強しない大学生をひた走り(大卒という肩書きさえ取れば良かったから)、そして少しでも就職機会を増やすために休学や試験をパスしていたクラスの教授に頼みこんで単位不認定扱いにしてもらって学年をずらしたりともがいたあげく、就活と身体検査という壁の前にその夢は断たれた。

旅行先のタイでその事実を知った時のことは今でも鮮明に覚えている。同行していた友人の前で取り乱し、飲み、荒れた。その時は他の道が全く見えていなかった。他の道に進むだなんてもう一生懲役刑をくらったかのような宣告だった。

卑屈になるのは実際に失敗してからでいい
結果として、本当にこれは結果論で、その後自分が歩んでいる道がものすごくエキサイティングでハッピーなものであったことはラッキーとしか言いようがない。そしてそのラッキーな現状から当時を振り返るからこそ、自分自身がどれだけ卑屈になっていたかが分かったし、もっと過去まで遡れば、仮にパイロットを熱望していたとしても、もう少しその時にしかできなかった経験をやっておけばよかったなと”冷静”に捉える事ができる。唯一パイロット馬鹿まっしぐらだった自分がやった寄り道が、大学に入ってできた帰国子女の友人たちが英語を話しているのを見て何となくカッコ良さそうだったからワーホリで海外に出たことだったのだが、これが結果として今日の自分を構成している紛れも無い1パーツであることは本当にこれまたラッキーとしか言いようがない。

ちょっと悦に入ってしまった感があるので元に戻す。そんなわけでパイロット挫折という過去が今の自分のセーフティネットになっているので、その後の人生において壁にぶつかっても、仮に壁自体はその過去のもの以上かもしれないけれども、気持ちは当時ほどは卑屈にならない自分がいる。今のところは、ね。

で、自分はどうしたい?
そう、答えるべきはこの質問に対してだ。卑屈になって自分の現状や失望を正当化することか?それとももっと遠くの向こうにある何かか?

卑屈な感情を持つこと自体は全然悪い事じゃない、人間なんだから。問題はそれによって自分の本来の目的を見失いやすくなってしまうことだ。卑屈という敵に全力で立ち向かっている自分に、「おうがんばってるね、でも自分の目的だけは忘れないようにね〜」と伴走してくれるもう一人の自分を持つこと、これができれば”自分”がもっと自由になることができるだろう。

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