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zoom RSS ナイジェリアにて

<<   作成日時 : 2011/10/15 12:54   >>

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一昨年のチベット・ネパール・インド、去年のヨルダン・イスラエルに続く今年の冒険先はナイジェリア。日本人の友人が現地でスムージー屋をやっているというので訪れてみた。アフリカは3年前にガーナとトーゴに行っているので、両国の直線距離にして100km程度しか離れていないナイジェリアの雰囲気も大差ないものだと予想していたのだが、おそらく農村部により深く進んだところに滞在したせいもあるだろうが、かなりまた違った経験ができたような気がした。

ナイジェリアは日本と同等の人口を擁して経済規模もかなり大きいのだが、発展途上国にありがちな汚職や不安定な治安と、特に北部は宗教対立による殺戮に苦しんでいる。私が訪れたのは南部地方だったので治安は比較的安定していたものの、廃れたインフラや路上で格闘する人々(そのうち一人は機関銃所持)などを目にして、おおかた言われていることが間違っていないことは実感させられることとなった。

友人が小学校に併設されている児童養護施設に住み込みしているという事情から私もそこに居候させてもらうことになっていた。奇しくも私がパートタイムNPOで支援している日本の児童養護施設、すなわち何らかの事情で親と共に住むことが難しい子どもたちが暮らす施設にお世話になるとうことで、比較するといっては変な話だが興味深いところだ。

さて、実際に到着した初日、受けた歓迎の熱烈さにビックリした。友人曰く私が来る数日前から皆で部屋の大掃除やヒビの入った浴槽のタイルをセメントで穴埋めしていてくれたらしいし、私が到着した時も20人くらいの小学生の子どもたちが合唱をして出迎えてくれた。

この国ではサッカーが圧倒的な人気スポーツで多くの店でテレビ放映していて、子どもたちの遊びもサッカーが大半を占める。私も久しぶりに小学生の気分になって混ざって遊んだ。
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みんな、プレーが激しい。私も小学校時代は遊びでもスポーツはいつも本気を出して流血することもしばしばあったのだが、ここではそれが普通に感じられるくらいみんなマジになってた。(苦笑)ルール1つとっても、例えば明らかに自分が最後にタッチしてラインから出たボールでも何気ない顔でスローインして、誰かに忠告されない限り続行してしまえというような何ふり構わぬ姿勢を何度も目にした。ルールを守る日本人に比べて諸外国の人たちは自分たちでルールを作る、とよく例えられるが、正にそんな格言を根っこの部分から実感する機会だった。頼るものは自分しかいない、だから汚職だってルール破りだって、ともすれば正当化されかねない。途上国であれば当たり前な現象かもしれないが。

子どもたちの大人への懐き方にも日本のそれと大きな違いを感じた。私が普段見かけないアジア人だということもあるのだろうが、一緒にいるときは常に数人の子どもが私の周りにまとわりついてくる(笑)初日に歌を歌ってくれたお礼に日本円にして3,000円相当のおもちゃをプレゼントしたのだが、その時の喜びようも印象的だった。日本では、少なくとも私が知るかぎりでは施設の子どもたちの物欲はかなり満たされているので非常に対象的だった。

日本では児童虐待が養護施設に来る子どもたちの最も大きな理由だが、ここでは生まれた時から親に捨てられたり、あるいは紛争で親を失ったり、日本での現象とはまた違う問題から親と離れ離れになる子どもが多い。どんな事情であるにせよ、子どもたちに罪はないから少しでもこの大変な状況を改善したいと、再び強く思った。子どもたちの大変な状況というのは、例えどんなに遠い世界のことだって巡り巡って同じ地球上に住む自分たちにも影響を及ぼすから。綺麗事の善意ではなくて、自分の利益を考えただけの結論。


また、この国では人々の諦め感のようなものもところどころで感じた。地元の人達は誰も警察などの役人を信用していないし、ほとんどあてにならない政府の電力供給(特に農村部で電気を使うには自家発電しか方法がない)に文句を言うのも面倒くさいというような感じ。
旅行者目線で見ても、空港のパスポートチェックがやたら多い上に毎度意味不明な質問をしてくるし、以前にトランジットでこの国を訪れたときは手荷物チェックで賄賂を要求されたりもした。私は他のアフリカ諸国を含めて発展途上の国々をしばしば訪れているが、この国での居心地の悪さはその中でも際立っていると思う。

ミクロレベルでは、その友人がやっているスムージー屋でのやりとりの様子を見て、これまた根本的な問題があることを実感した。手持ちの現金が無いと平気で店のお金を使うし、遅刻は当たり前、それらに対して本当に悪気が一切ない。当然日本のように接客に対して積極的な姿勢もなく、その友人と二人で店頭でビラ配りをしながら、「ナイジェリア広しといえどもこんな営業してるのはこの国で俺らくらいだな」と半ば苦笑いしあっていた。

「もしもその国の人々が現状で満足しているなら、無理に経済先進国の理屈を持ってこなくもいいじゃないか」と思う方もいるかも知れない。彼らが本当に心で思っていることは当然私には分からない。だけれども、宗教対立で無差別殺人がはびこり、役人や政治家は全く頼りない、そんな現状が少なくとも国民を幸せにしているとは到底思えない。「海外で勉強したいんだけどカネがない、日本ではスカラーシップのようなものはないか!?」と聞いてきたホテルの従業員の子がいたように、他人のドネーションのようなものにしか金銭的活路を見出せない人々がいる現状を、彼らが幸せなら・・といって放置することを肯定することには強烈な違和感を覚える。

日本経済が再三説教されている通り、ボーダーレス化が不可逆的に進む今後の世界では自国の現状だけを理由もなく特別扱いすることは究極的には不可能になる。もしもこの世界にナイジェリアという国しか無かったら、つまり鎖国政策を取るのだったら、別にだらだらやってても皆が精神的に幸せならそれはそれでいいだろう。しかし国を開いている以上、よりよいサービスやプロダクトは絶え間なく外部から攻め込んでくる。当然消費者側はそういったよりよいモノを選ぶインセンティブが強く働き、結果として平均以下のパフォーマンスではどんどん置いてけぼりを食らう。いいとか悪いとかじゃなく、コントロール不可な外部環境に適応した政策の実行が、今まで以上に必要不可欠になる。

そんなことをふと考えた、今回のナイジェリア訪問。

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