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zoom RSS この国に生きるコスト vol.3

<<   作成日時 : 2010/04/10 08:27   >>

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http://aotearoa2.at.webry.info/201104/article_532.html
http://aotearoa2.at.webry.info/201104/article_533.html

ちょっと間が空いたけど、続き。
ことの発端はパートタイムNPOで気づいたことだったので前回の2つはそちらにカテゴライズしていたが、今回はマクロの話なので「学び」の方に入れるとする。

そのために税金払ってるんだから、誰か雇って保護して育てりゃいいじゃん、何でもかんでも自分が手を伸ばそうとしても疲れてしまうよ。

そんな意見もあるだろう。
事実自分も時としてそう思ってしまう瞬間もある。

だけれども。
繰り返すが、それだけでは、社会はいい方向には変わらない

なぜか?
これも繰り返し。

それだけでは、常に親の愛情から漏れてしまう何割かの子供たちは、大人からのアプローチがほぼ皆無になってしまう。

その結果、何が起こるか?

ちょっと極端な例を挙げる。
秋葉原の歩行者天国で起きた無差別殺傷事件、未だ覚えている方も多いだろう。
罪を犯した者に弁解の余地は無いし、処される刑も裁判を待つまでもなく明らかだろう。
突然仲間・肉親の命を奪われた方々、本当に言葉に表せない程今も苦しんでおられるだろう。
もし私がその立場だったらと思うだけで、いたたまれない気持ちになる。

以上のことを断ったうえで。
私は人にの行動対するアプローチ・分析は2種類あると思っている。
北風と太陽に例えるならば、ミクロで見るときは北風、マクロで見るときは太陽。
この事件で言えば、ミクロで言えば犯人にちゃんと自分の罪を償わせること。
どんな理由があろうとも、どんなに育った環境が苦しいものだったとしても、本人の起こした行動を正当化する理由にはまったくならない。

他方、マクロで見てみる。
なぜ彼はこんな罪を犯したんだろう?
こんな罪を犯したのは彼一人だけだろうか?
大阪教育大付属池田小でも忌まわしい事件が起きた、どうやら彼一人ではないらしい。

すると、外部的環境として何らかのものがこういった凶悪犯罪の遠因になっていると仮説ができるだろう。
もちろんそれが直接親から受けた愛情の有無や多寡というつもりは毛頭ない。
親から愛情を受けなくても大部分の人は立派に育っているから。
だけれども、要因の1つとして考えられるのは確かだろう。

ちょっと間延びした書き方になってしまったが、感の良い方はもうお気づきだろう。
つまりどんな凶悪犯罪者だって、結局は私たちの生きる社会で生まれた人間なのである。
もっとハッキリ言うと、どんな凶悪犯罪者だって、私たちの社会という身から出た錆なのである。

この世の中に他人事なんて何一つない。
この世の中に生きている限り、全ての人にとって、ある日突然他人に刺されるリスクは決してゼロでは無い。

悲劇が起きる度に「苦しい状況の人は沢山いるのに、それを言い訳にして事件を起こす奴が悪い」という正論を吐いて傍観者を貫き、いざ自分の大切な人が悲劇に巻き込まれた途端に「事件の風化を防ぐために。。」とか言い始めるのはあまりに都合が良すぎないか?

同じ社会に生きてるんだったら、その社会の中で悲劇が起きる確率をほんの少しでも下げるためにほんの少しできることを続けることは、明らかに自分にとっての利益になるんじゃないだろうか?

自分とその周りの幸せを追求すること、本当に素晴らしいことだと思う。
ではその幸せを真に実現するためにはどうしたらいいのか?
それを考え、見つけ、行動に移せたなら。
みんながそれをできたなら、みんなが他者への関心を少しでも持てたのなら、もっともっと素晴らしい社会になると思う。

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